広報誌みほん
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���こころ晴であろう。「これから水源林植樹の集いを始めます」司会者がマイクで威勢の良い声を張り上げている。「市民憲章斉唱」緑のスカーフを巻いた中学生が壇の横に4人集合し、「1 まじめに働き、栄える町をつくります」から「1 教養を高め、文化の町を作ります」まで、5項目の憲章を斉唱した。開会式が終わり、いよいよミズナラ900本の植樹が始まった。苗木は広場から5分くらい登った小高い山の斜面から中腹まで、なだらかな道沿いに横たえられていて、既に植えるのみの状態に整えられていた。唐鍬�で穴を掘り、苗木を植えていく。その折、忘れてはならないのは、住所と氏名を書き込んだ松の枝の木版をつるすことである。その時からそのミズナラは、その人の所有物になったということだ。しかし果たして、また来年この集いに参加した時、自分の名前のプレートが付いた苗木を見つけられるかは全くの疑問である。それを記憶に残しておけるような奇特な人は、まれとしか言いようがないであろう。植樹を終えた人々は中央の広場に戻り、シートに腰を降ろして昼食を待つ。「ひろい世界をひとつに結ぶ/同じ志の手と手に通う……」ご存じ「ライオンズクラブの歌」の出だしの部分です。この歌が最初に歌われたのは1959年、京都で開催された第5回302地区年次大会だそうです。現在では毎日のように全国各地で歌われていることでしょう。私も毎例会、声高らかに斉唱しています。そこには不思議とメンバーとの連帯感が生まれ、クラブ活動へ我々のシートは、水道局が振る舞うけんちん汁の賄い場のそば、クルミの木の枝陰に敷かれていた。参加者の女性メンバーがけんちん汁を人数分、シートの真ん中辺りに置いてくれた。温かい汁が冷めないうちに、クラブがしつらえたおむすびと共に口にした。時間は解散を告げ、談笑はしばらく続き、また、もと来たバスの乗り合い場所から1時間半の帰路に付いたのであった。(元クラブ会長/06年入会/64歳)の高揚感も湧いてくるのです。これは、藤浦洸氏の詩もさることながら、作曲家古関裕而氏の音楽に見る類まれなる感性によるものに他なりません。古関氏は戦時の一時期軍歌も作っています。「勝ってくるぞと勇ましく誓って故�郷�を出たからは手柄たてずに死なりょうか……」で始まる「露営の歌」、「あああの顔であの声で手柄たのむと妻や子がちぎれる程に振った旗……」の「暁不滅の古関メロディー橋本収三(広島県・世羅甲山)LION2017年3月号45

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