広報誌みほん
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(クラブ会長/12年入会/49歳)平成26年、山形県南陽市を拠点に、障がい者等用駐車区画の整備等、バリアフリー推進活動を展開する奉仕団体Gratitude(誕生しました。代表を務めるのは「車椅子のケンボー」こと、加藤健一氏36歳です。私と彼の出会いは今から3年前、満開に咲き誇る桜の下。共通の友人に連れられ、ライトアップされた夜桜の中を無邪気に車椅子を走らせ歓喜する彼の姿に心動かされた私は、数日後改めて彼の元を訪ね、その後間もなく結成されることになる当団体にメンバーとして迎えられました。さかのぼること昭和55年、南陽市に生まれた彼は、自動車が大好きな少年、青年時代を過ごし、高校卒業後は自動車会社の社長を夢見て自動車工場に就職しました。しかし夢半ばの21歳で体に異変が現れ、難病「筋ジストロフィー」の診断を受けます。その後も長期療養を余儀なくされ、医師からは仕事グラッティテュード)」はへの復帰は困難と宣告されました。それでも彼は夢を諦めず懸命にリハビリに励み、不可能と言われた職場復帰を果たします。が、病気の進行により退職を選択せざるを得なくなるのです。その後、厨房設備を製造する地元企業に就職、在宅勤務可能な設計業務に従事するも、32歳で自力歩行困難となり、完全に車椅子での生活となったのでした。めっきり外出の機会は減り、自身の境遇を嘆き悲しむ毎日。友人とも距離を置き塞ぎ込む日々が続きました。しかし、そんな彼を救ったのもまた友人でした。「俺らの関係は変わらない。お前と一緒に闘う」親友の言葉に奮起した彼は平成26年、有志を募り団体を結成。英語で「感謝」を意味する「した。平成28年には県内初の山形県バリアフリー観光ツアーセンターを設立し、全国のメディアに取り上げられるGratitude」と名付けままでになりました。「僕たちはバリアフリーのお店に行きたいわけじゃない。みんなと同じようにおいしいお店でご飯が食べたいし、みんなと一緒に温泉や映画も楽しみたい。ちょっとしたアイデアや工夫でそれが可能になる。みんなで一緒にワクワクしようじゃないか」私の胸に突き刺さった彼の言葉、思いこそが、私たちライオンの目指すべき奉仕の姿ではないでしょうか。数人でスタートした団体も今では約塗装した車椅子マークの障がい者等用駐車区画は、約3年で県内18カ所まで広がりました。そして彼は昨年、果敢にも県内初、車椅子でのパラグライダー・タンデム・フライトに挑戦、見事成功する姿を全国に向けて発信しました。これからも彼は挑戦し続けるでしょう。なぜなら、それが多くの人々に勇気を与え、また挑戦こそが自身の生きる力であり、生きた証であることを知っているからです。彼は言います。「いつか自分の活動が必要なくなることが夢。その時にはバリアフリーが当たり前のこととして実現しているはずだから」その日が来るまで私は、私たちは、ケンボーと一緒に闘い続けます。 心のバリアフリー遠藤隆一(山形県・米沢松川)LION2017年3月号30人まで増え、私たちが青いペンキで「42

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