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概要

広報誌みほん

地震の時は、町議会議員として3月の定例会に出席していたため、町役場3階の議場にいました。今まで経験したことのない激しい揺れで、議場はすぐに閉鎖され、午後3時過ぎには役場から3キロほどの場所にある自宅へ戻りました。七ケ浜の震度は5強で、もちろん物が落ちたりということはありましたが、地震そのものでの被害はほとんどありませんでした。また、私の自宅は多賀城寄りの遠山という高台の地域なので、津波の影響もありませんでした。しかし、代々受け継いできた田んぼが自宅の下の方にあり、そこに海水が入ったのには驚きました。私は18歳の時にチリ地震津波を経験しているんですが、七ケ浜は沿岸部での被害はあったものの、今回のような壊滅的な被害ではありませんでした。東日本大震災では地震から約1時間後に第1波が到達し、最大12・1メートルの津波に町がのみ込まれました。何しろ町の3分の1が流されてしまったんですから……。七ケ浜は三方を海に囲まれているので、東北と言っても比較的温暖なんですが、3月はまだこたつが手放せない季節なんです。ただ、電気はだめでも、我が家はガスがプロパンだったのと、集落に井戸を作っていたので、それでお湯を沸かし、湯たんぽに入れて暖を取りました。議員の時、阪神・淡路大震災の被災地、神戸を視察させてもらい、その時、水の重要性を聞いていたので、帰ってから井戸の確保を訴えていました。日本はいつ何時、災害があるか分かりませんから、日頃からの備えは本当に大事ですね。自宅のある遠山は、七ケ浜の中では最も人口が多い地域で、1200?1300世帯が暮らしています。住宅の津波被害はなく、水もガスも何とか大丈夫ということで、恵まれてはいましたが、人が多い分、食べる物に困りました。そんな時、震災から5日目だったと思いますが、姉妹クラブの山形県・新庄もがみライオンズクラブが炊いたご飯を発泡スチロールに入れて持ってきてくれたんです。温かいご飯を口にするのは久しぶりで、頂いた人たちは皆、感激していました。新庄もがみライオンズクラブはその後も、繰り返し救援物資を運んでくれました。また、北海道・小樽みなとライオンズクラブを始め、今まで全く接点がなかった、各地のライオンズから支援の手が差し伸べられ、ライオンズクラブの友情と行動力を改めて認識しました。また当時、ゾーン・チェアパーソンをしていたので、被災した各クラブとキャビネットの窓口となって支援活動に携わったり、東京のライオンズからお誘いを受け、東京駅八重洲口での募金活動に参加させてもらったりもしました。東京での募金活動では、一般の方が「がんばってください!」と1万円札を募金箱に入れてくださったり、人の温かさに涙が出ました。その時のことは絶対に忘れません。この震災で日本中、世界中のライオンズから支援して頂き、本当にありがたく、言葉では言い尽くせないほどです。皆さんから支えて頂いた恩返しに、今後も精いっぱいライオンズ活動に励みたいと思っています。ありがとうございました。39 LION 2017年3月号3.11リレー連載24世界中のライオンズからの支援に感謝すずき・くにお1941年七ケ浜町生まれ。鈴木國男商店代表。86年から七ケ浜町議会議員を6期務めた。87年7月入会。2010-11年度ゾーン・チェアパーソン。鈴木國男(宮城県・七ケ浜ライオンズクラブ)2008年、332-C地区第3リジョン第1ゾーン合同事業として、七ケ浜国際村に建立した記念碑